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海洋冒険小説の家

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(11)安土宗論は法華宗が勝った

    (11)

 「ほんまでっか?」
 「本当です。頂妙寺の日光殿の舌鋒鋭く、浄土側は押され気味でした。判者の役割は、浄土側の加勢をすることです。私は何度となく加勢をし、日光殿からは片方だけの加勢は不公平だと、なじられました。が、これは信長殿の命を受けてのことでしたから、仕方のないことでした」
 「やはり、宗論は初めから仕組まれていたんですなあ」
 「そうです。五月の半ば、信長殿に呼ばれ、菅屋九右衛門殿、矢部善七郎殿、堀久太郎殿、長谷川竹千世殿、織田七兵衛殿の五人と相談のうえ、宗論を取り計らうよう命が下されたのです。否応もなく。それで、判者は私が選びました。南禅寺の秀長老、同伴僧の華渓殿、法隆寺の仙覚坊栄甚殿、そして私の四人です。秀長老は、その昔、京都五山一の学識と謳われた御方ですので、判者役の権威を持たせる為に必要な僧として来て頂き、華渓殿は秀長老の付き添いというだけのことでした。なにしろ、秀長老は高齢で足腰が弱り、耳も遠く、目もあまり見えないので、付き添いが必要だったのです。仙覚坊殿は私の親しい友であり、学識も深いので来てもらいました。私の役は、浄土側を助けることでした。細かな取り決めはあったのでしょうが、それは、五奉行衆と浄土宗の僧の間で決められたようで、私には何も知らされていませんでした」
 謀りごとは深く進んでいたのだ。
 
 「宗論の前日まで、奉行衆は法華宗側に、問答に負けたときには、京及び領国中の寺を破却してもよい、という一札を入れよと、それはそれは、脅したりすかしたりしたと後で聞きました。結局、それはつっぱね通して、書きませんでした。その時、おそらく法華の僧たちは、事態の容易ならざること、死を覚悟せねばならぬことも、悟ったことでしょう。それで、宗論の時は死に物狂いで、問答に当たったのだと思われます」
 「ははあ、それで法華側が押していた?」
 「その通りです。浄土宗側は、正直なところを言えば、うしろめたさもあって、受身でした。さんざんやりこめられ、私は何度となく助け舟を出し、七兵衛殿は脅しをかけるといった有様でした。そして、そのうち何度目か、浄土宗側が言葉に詰まったとき、七兵衛殿が霊譽玉念殿の衣の袖を引っ張ったようでした。玉念殿は七兵衛殿の隣りの定安殿の隣に座っており、七兵衛殿が体を横に倒したのでそのように見えました。これが合図だったのでしょう。突然、玉念殿が立ち上がって、
 「勝った、勝った」
と、二度叫びました。それで、寺の回りを囲んでいた、浄土宗の衆徒が本堂になだれこんできて、法華宗の僧たちの袈裟を剥ぎ取り、殴るけるのひどい騒動になりました。奉行衆はそれを横目で見ながら何もしませんでした。しばらくしてから、やっと奉行たちは騒乱を鎮めました。あとは、法華宗側が何を言おうが無駄なことです。謀りごとは成功したのです」
                    (続く)




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